からし色の靴下

甘党・辛党・映像全般・音楽聴きながらゆらゆらお酒飲みたい人

好感度って

佐々木希さんが同じ事務所の後輩の男の子とくっついて(どちらかというとくっつかれている感じ)撮った写真をインスタにあげて、旦那が泣くだの、不倫するなこれだの書かれている中に「好感度下げてる…」というどこからの目線なのか分からないコメントがあった。そもそも芸能人にコメントする神経の方が私には分からない。すごいなって思う。ちょっと怖いとすら思う。

誰々に私は好感を持った。誰々の何々の行動によって好感を持てなくなった。なら分かる。好感度を下げるっていうのはクラス人気投票で票がもらえなくなる(かも)よっていう見えないみんなの評価のことだよね。燃え盛った炎から遠く離れた場所で、ああ、危ないなあ、、、火が火が燃えるよ…ざわざわするなあってコメント…やっぱり謎な助言。ネット炎上みたいな文化が生まれて視聴者が、関係のない人間が目をギラギラさせて「あいつヘマするぞ」「失言だ!!」「燃える、燃えるぞ」と盛り上がる。芸能人は好かれ、支持されの商売だからというのはわかるけど、あんたには関係ないだろで済んで仕舞えばそれはそれで商売にならないのかな。

私は匿名の人に非難されたことがある。というかおそらく今もされている。私は非難されていないか常に疑心暗鬼になって掲示板を漁って「今日は私は叩かれていない。代わりにあの人が叩かれているな(よかった。うう自分やな奴)」と一時期、確認しないと気が済まない不毛な日々を送っていた。

見るからいちいち心がざわつく。そもそも私は打たれ弱いし、できれば人から好かれていたい。一生懸命がんばったことを貶されるのは悲しい。容姿の事や仕事の事を悪く言われると傷つく。それをまず認めた上で一番の解決策は「見ない」。シンプルに「見ない」。そして、それは逃げとは違うという事を自分に言い聞かせた。最初はうずうずして、あの発言、今の容姿、人から何か言われていないだろうか…と気になって気になって苦しかった。でも、それも3日ほど経てば肩の荷が降り、なんで今まで怖いのに傷つくのに見ていたんだろうと逆に不思議に思うようになった。言いたい人がいる。言わずにいられない人がいる。攻撃ですらなく、ただの感想、ただのぼやき。だからもうそれがどんな純度のものなのかなんて考えて、ただでさえ心許ないメンタルをすり減らし、パフォーマンスを下げる事になんの意味があるのか。のっぺらぼうとは戦えない。目の前のことに目を向けてみると仕事の評価は徐々に上がっていった。

ドMだけど、エゴサーチ向いてなかったわって話。