からし色の靴下

甘党・辛党・映像全般・音楽聴きながらゆらゆらお酒飲みたい人

さみしい気持ち

突如やって来たさみしい気持ち。セブンイレブンのわさび納豆巻きを食べてツーンときたからか、帰り道に本名は知らないけど何回か遊んだ事のある男の人とすれ違ったからか、はたまた彼が女の人と歩いていた事が気になっているのか。わにとかげぎすハロー張りネズミを立て続けに見る。アイスを二本立て続けに食べる。有田さんって即興でラップも出来るし演技も出来て多才だな。本田翼のかわいいのに気持ち悪い感じすごい合ってる。去年のヒメアノ〜ルも良かったけど、わにとかげぎす古谷実の日常に潜む闇、ざわつく感じすごく面白い。恋ヘタの橋本さんが怖い感じ。いいなあー。楽しみ。現時点で日記を読み返して見て著名人にさん付けしたり、フルネーム呼び捨てにしたり自分のルールが分からない。

ハロー張りネズミはユメマカセが流れるタイミングがよかった。大根仁さんのドラマや映画の音楽がすごくすき。エロで爽やかでメロウ。大根仁さんってク◯ニ好きそうだってなんの根拠もなく思っていて、そしたら舐めだるまって言葉がふと浮かんだ。調べて見たらAV男優さん絡みの事なのね。知らない知識が謎ルートで侵食。全国の坊主の風評被害

さみしい気持ちはなんなのか。女性ホルモンのせいなのか。自分で思う分にはいいけど、女性ホルモンのせいだと男に言われたら腹たつだろうな。女性ホルモンのせいだと男に言われて腹の立つ女も客観的に見たら好きじゃないな。エンタメでも食でもエロでも満たされない。なぞの虚無感。身体に穴ぼこがもうないのに水をやって吸収されない感覚なのかな。穴だらけで間に合わないだけかも。さみしさなんてフォーカス当てるか当てないかの違いでさじ加減だと思うけど、それは私がそれなりに恵まれてるから言えることなのかもな。カバンに入ってる大福が食べたいわけじゃないし、冷蔵庫にもなんかしら入ってる。美容室で読んだ雑誌で、ある人が過食について語っていた。自分は母親が作った美味しい料理が並ぶ食卓で育ったからすぐに食べる事で心を満たそうとしなくなったとか。そういう幸せな記憶がある人は大丈夫的な話だったと思う。うろ覚えだから間違ってるかもしれないけど、未だに心がざわついている。母の作る料理は美味しかったし、温かい食卓もうちにはあった。でも私が必要以上に食べたりすると母は悲しい顔をした。人と人が暮らすのに感情を出すのも出さないのもストレスで、あの頃の母の感情は暴力で、また私の過食衝動も母にとっては暴力だった。母の悲しい顔を見ると自分が出来損ないで、失敗作だと思えた。子供の頃の事を今でも引きずっているのはもはや自分の人生の言い訳だ。1日1日どう生きていくかが重要って言うのは毎日ちゃんとしていないと意味がないと言う事ではなく、前日が酷い有様でも今日、明日のために何が出来るか向き合う事が大切って事だと思う。悲しい思い出は自分の切り札でしかない。誰にも同情されないし、私と母を暗い過去に封じ込めるだけの呪詛にしかならない。江國香織さんのホーリーガーデンの果歩と静枝の小さい頃の喧嘩を思い出す。果歩の漢字合ってるかな。許したい許したい許そう。そもそもどっちが被害者か分からない。こんな自分は愛されないって思った自分の被害妄想なんだろうな。

好感度って

佐々木希さんが同じ事務所の後輩の男の子とくっついて(どちらかというとくっつかれている感じ)撮った写真をインスタにあげて、旦那が泣くだの、不倫するなこれだの書かれている中に「好感度下げてる…」というどこからの目線なのか分からないコメントがあった。そもそも芸能人にコメントする神経の方が私には分からない。すごいなって思う。ちょっと怖いとすら思う。

誰々に私は好感を持った。誰々の何々の行動によって好感を持てなくなった。なら分かる。好感度を下げるっていうのはクラス人気投票で票がもらえなくなる(かも)よっていう見えないみんなの評価のことだよね。燃え盛った炎から遠く離れた場所で、ああ、危ないなあ、、、火が火が燃えるよ…ざわざわするなあってコメント…やっぱり謎な助言。ネット炎上みたいな文化が生まれて視聴者が、関係のない人間が目をギラギラさせて「あいつヘマするぞ」「失言だ!!」「燃える、燃えるぞ」と盛り上がる。芸能人は好かれ、支持されの商売だからというのはわかるけど、あんたには関係ないだろで済んで仕舞えばそれはそれで商売にならないのかな。

私は匿名の人に非難されたことがある。というかおそらく今もされている。私は非難されていないか常に疑心暗鬼になって掲示板を漁って「今日は私は叩かれていない。代わりにあの人が叩かれているな(よかった。うう自分やな奴)」と一時期、確認しないと気が済まない不毛な日々を送っていた。

見るからいちいち心がざわつく。そもそも私は打たれ弱いし、できれば人から好かれていたい。一生懸命がんばったことを貶されるのは悲しい。容姿の事や仕事の事を悪く言われると傷つく。それをまず認めた上で一番の解決策は「見ない」。シンプルに「見ない」。そして、それは逃げとは違うという事を自分に言い聞かせた。最初はうずうずして、あの発言、今の容姿、人から何か言われていないだろうか…と気になって気になって苦しかった。でも、それも3日ほど経てば肩の荷が降り、なんで今まで怖いのに傷つくのに見ていたんだろうと逆に不思議に思うようになった。言いたい人がいる。言わずにいられない人がいる。攻撃ですらなく、ただの感想、ただのぼやき。だからもうそれがどんな純度のものなのかなんて考えて、ただでさえ心許ないメンタルをすり減らし、パフォーマンスを下げる事になんの意味があるのか。のっぺらぼうとは戦えない。目の前のことに目を向けてみると仕事の評価は徐々に上がっていった。

ドMだけど、エゴサーチ向いてなかったわって話。

おばあちゃん家の本棚の匂い

逢坂みえこさんの漫画を久々に読む。

永遠の野原ベル・エポック、小学校の寮の本棚に置いてあって「大人の話」だなあと思いつつも心になにか「しん」とくるものがあった。

読んでいた場所は寮なのに、久々に手に取ると祖母の家の畳で寝転がって本棚の香りがするような…子供の自分がまとっていた香り、空気感…懐かしい。子供の頃の思い出は守られていた安心と度々起きる理不尽な事。泣きそうなくらい悔しい思いをした事…もわっとした感情が呼び起こされる。今日の外の空気の感じ。まさに。

ずっと気になっていた「恋は雨上がりのように」を読んだ時は何故だか「いつかこの恋を忘れて泣いてしまう」の"お母さんの手紙"が自然と頭の中で流れてきた。坂元裕二さんの脚本を手がけるドラマはいつも劇中歌がすごくいい。その中でもカルテットのすずめが自分の恋について話すときに流れる "honesty"が好きだ。雪がゆっくりしんしんとつもっていくような感じ、丁寧に紡いだ心の糸みたいな繊細さがストーリーに凄まじく合っていて聴いているだけで泣いてしまいそう。今、再度honestyを聴くと家森さんの涙と暗い部屋ですずめちゃんがごはんを用意する所を思い出してしまったけど。それはそれで。

坂元裕二さんの『往復書簡 初恋と不倫』の「不帰の恋、海老名SA」パートの後半に「定食みかげ」というお店が出てくる。これは吉本ばななさんの『キッチン』の桜井みかげから取っていたりするんだろうか。リトルモア行きの読者アンケートに書いてみようかな。インスタやツイッターでは話しかけられない。SNS上で芸能人にコメントできる人ってすごいと思う。わたしには無理だ。『キッチン』といえばみかげが雄一にわざわざ届けるカツ丼があって私は今まで食べてきたカツ丼があの妄想のカツ丼の味をいまだ超えていないんだよね。もう一度キッチンも読み返してみよう。一人で食べたらずるい位美味しいカツ丼。

 

 

どんな風にも生きられる

31歳。もうすぐ32歳。

人に言えない事も多々あるけど普通に生きている。どんなにだらしなくても、後ろめたくても、誇れるものがなくても人生は人生だ。そしてクズの道にも下には下がいる。信じられないほどのダークサイド。だから周りと比べてまだまだ大丈夫って思っているといつかとんでもない場所に行ってしまう。そんな事を真面目に考えたり考えなかったりする人間です。日々の事、食べた美味しいもの、見た景色、映像、言葉、音楽ゆるーくつらつらと書いていきます。